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日中戦争に関する論考

土曜日に掲載する予定と告知したものが完成したのでアップロードします。

内容は要旨となっており、先生に提出したものとは異なっています。一部敬語や意見をいただきたいという内容があったのでその部分を変更しています。授業の発表のものとは内容は同じものの、時間の関係で省いた部分が載っています。

前回の経営学での授業での「日中戦争は日本の侵略戦争である」と発言があった。私の見解と異なっていたこと、先生が対案を募集していたことがあり、執筆を決定した。本研究は先生および私の所属する大学で知見を得られることを証明し一般的な考えであることを示すためできる限り同校付属図書館資料を基に執筆した。なお同図書館にない資料は基本的に書店で購入可能な参考書となっている。インターネット資料は調べきれなかったものや知識の補足のために利用した。

 

調べた結果、「日中戦争は日本の侵略戦争である」という発言はいくつかの意味にとれる上発言意図も複数考えられるため、場合分けして考えることにした。

1 侵略戦争をAggressive Warの意味で使用したが私が何か断罪する意味を込めて使ったのではないかと勘違いしただけの可能性

2 日中戦争は全面的に大日本帝国に責任があるとし、それを断罪する意味合いで使用したという可能性

3 日中戦争が起こった過程で中国側に責任があると知りながら、避諱により史実を中国側に都合の良いものにして説明しようとした可能性

まず1について検証していく。この場合「日中戦争は日本の侵略戦争である」という発言は正しいものになる。理由は相手の陣地に攻め込んで戦争することであるからだ。Wikipediaに簡潔な文章が載っていた為引用する。

現在では、自国領土に限定した武力行為を自衛戦争、他国領土に武力を展開する行為を侵略戦争と呼ぶことが多いとされるが、国連平和維持活動などをかんがみれば、人道のためならば、後者は侵略とは呼ばれない慣習ができつつある。引用終了。

ただし一般的に侵略戦争でイメージされるものと異なっている可能性があるので詳細を記述する。『日中戦争―望んだ中国 望まなかった日本』 北村稔・林思雲 PHP研究所 21ページから引用する。

十九世紀国家間の戦争は二十世紀の第一次、第二次世界大戦のような総力戦ではなく、敵対する国家の軍人が限られた戦場で決着をはかる限定戦争であった。敗北すれば賠償金の支払いと領土割譲のルールが確立されていた。引用終了。

このように戦争にはルールがあった。またオランダのハーグで結ばれた「陸上戦闘に関する法と慣習」―Laws and Customs of War on Landには戦場での禁じ手などが載っている。これは国際的に戦争が認められていたことを示している。政策で戦争をすることが禁止になったのは第二次世界大戦の終了後である。これについてはその根拠がパリ不戦条約にあることから日中戦争はAggressive Warに当てはまらないとする考えがあるがこれは事後法に近い形でパリ不戦条約の解釈変更により成立されたものであるので正しいとは言えない。このように命題を解釈している場合正しいのである。しかし、あの場で軍事用語を完璧に理解している生徒はおそらく少なかっただろうから何か説明があってもよかったのではないかというのが正直な感想である。

次に2に関して検証していく。私は日中戦争は中国側にも責任があると考えていてそこには理由根拠がある。考えなしに国家が動くわけがないということだ。仮に日本が侵略し植民地を獲得しようという意見が強かったのであればもっと早い段階から全面戦争に発展させていたはずである。しかしそうはならなかった。石原莞爾の存在である。事実日本政府は当時不拡大方針を打ち出している。では何故日本軍は拡大方針に翻意したのだろうか。以下『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 藤岡信勝 三浦小太郎 編 勉誠出版 12・13ページ の引用である。

加藤氏も中国の好戦性を書いている。昭和十二年七月七日夜、北京郊外で勃発した盧溝橋事件は、国民党の宋哲元軍長麾下の第二十九軍が日本軍に発砲したことが契機である。日本政府はいち早く事件の不拡大を決定したが、中国側の挑発は続いた。十日には中国人斥候が日本軍将校を銃撃、十三日には日本軍のトラックが爆破され、四名が死亡する「大紅門事件」が起きた。引用終了。

これだけではない以下同文献17ページの引用である。

一九三七年七月二十九日、北京東方二〇キロ、親日地方政権の首都が置かれた通州で、日本人居留民の保護を任務としていた支那人からなる保安隊が、駐屯日本軍の不在の間をついて蜂起し、無辜の日本人居留民を、集団的な暴行・拷問を加えた末に惨殺するなどしどの猟奇的凌辱行為を行った事件。殺害された民間人は二二五人に上った。引用終了。

また『詳説 日本史研究』 佐藤信 五味文彦 高埜利彦 鳥海靖 編 山川出版社 461ページには以下の文章がある。以下引用。

同年8月になって華中の上海で中国側による大山海軍大尉殺害事件がおきた(第二次上海事件)のを機として海軍(米内光政海相)もまた強硬姿勢をとり、日本本土の基地などから出撃した海軍航空隊が東シナ海を越えて首都の南京を爆撃するなど日本は中国と全面戦争(日中戦争)に突入した。引用終了。 

このように中国側からの挑発行為、移留民の殺害行為があったことは確かである。自国民が何度も殺害されているのであるから当時合法であった戦争を仕掛けられても仕方ないはずなのだ。また自国民の安全保障は人道的処置であり現在の観点からみれば武力制裁に値する。また、通州事件に関して言えば二年前から計画されていた計画的殺人であり、国民党もかかわっていたことから中国が戦争をしかけてきたととらえても何ら不思議はないはずである。上記理由より私は日中戦争が日本の侵略戦争ではないと考えている。

 最後に3についての検証をする。ただしこの場合議論が成立しない可能性が高い。というのもこの場合西洋流と中国的史観の価値観の違いを持ったまま議論するという非生産的なことを行ってしまう危険性があるからだ。『避諱という概念(報道と選択について その2)』(URLは参考文献に掲載する) 『日中戦争―望んだ中国 望まなかった日本』 北村稔・林思雲 PHP研究所の第七章 中国人の歴史観 や『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 藤岡信勝 三浦小太郎 編 勉誠出版 第三章通州事件の精神的・思想的背景 に詳しく載っている。引用が非常に長くなるためこれらの文章を参考に簡潔にまとめる。ここでの「避諱」とは儒教の概念からくる道徳的概念のことである。儒教では社会の安定や「乱世」を避けるため偉人や賢人に頼ることがよいとされてきた。しかし偉人賢人だとしても時に過ちを犯す。そこで過ちを隠し、功績を誇大にたたえることで威信を保つ。これがここでいう「避諱」である。これが愛国虚言につながっていると著者は言っている。またこのことから中国人は国益のために嘘をつき誇大に評価することがあるとしている。これでは正確さは求められない。歴史的根拠の一つとして南京事件の被害者数があげられる。日本側でも意見が割れているところである。しかしこれは確固たる証拠がないことを示している。一万人にしろ、三十万人にしろ、確固たる証拠があれば大方の数字が動くことは無い。動いてしまうのは証拠がない・証言が間違っている可能性が考えられる、が証言は山のように出てきているため後者と考えるのが妥当であろう。実際南京事件の証言が間違っているという日本側の資料がある。

 

今回は前回の発言の意図や正確性について検討させていただいた。結論として、侵略戦争をAggressive Warの意味で使用したが私が何か断罪する意味を込めて使ったのではないかと勘違いしただけの可能性の場合は正しい、日中戦争は全面的に大日本帝国に責任があるとし、それを断罪する意味合いで使用したという可能性の場合は上記の理由により違うという考えもある、日中戦争が起こった過程で中国側に責任があると知りながら、避諱により史実を中国側に都合の良いものにして説明しようとした場合は正確性を追求していない発言であったことが分かった。また1、2は誤解を生じさせる可能性があったことを確認した。歴史観は個人レベルで違うことが多々あるので発言する際には十分な説明が必要なのであろう。相互理解が求められる中、善悪二元論に陥らず、互いを尊重するためにも発言には私を含めみな気を付けなければならないのだ。

 

参考文献

日中戦争―望んだ中国 望まなかった日本』 北村稔・林思雲 PHP研究所

通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 藤岡信勝 三浦小太郎 編 勉誠出版

日中戦争全史 上』 笠原十九司 光文研

『詳説 日本史研究』 佐藤信 五味文彦 高埜利彦 鳥海靖 編 山川出版社

『南京「大虐殺」被害証言の検証』 川野元雄 展転社

『事実を改変させる力としての避諱・序説--中国人の歴史記録意識考(1)』 竹内康浩 北海道教育大学釧路校

『避諱という概念(報道と選択について その2)

http://blog.livedoor.jp/kotobukibune_bot/archives/15967291.html

南京虐殺http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking-jiken-10.html

以下の文章は参考部分が引用であったため掲載する。

『Prelude to Nuremberg: Allied War Crimes Policy And the Question of Punishment』 Arieh J. Kochavi Univ of North Carolina Pr; New版 (2005/11/30)

『対日作戦必勝論』 国民党浙江省党部編

『抗日旬刊』 光華大学抗日救国宣伝部主編

『中国人民の友「冀東防共自治政府」闘争と傀儡政権の打倒』 王士立・鐘群庄・超競存・李宋国

『冀東人民の「冀東防共自治政府』に対する反対闘争』『国家人文歴史』 李成民

『近代中国的出路』 黄仁宇 联经出版社,