整理用
経済学そろそろやらないとやばそうなので復習用の記事まとめとく。統計とレポートもやらんといけないし一月忙しくなりそうだなあ....
ミクロ経済学の記事
https://vicryptopix.com/micro/
マクロ経済学の記事
https://www2.kumagaku.ac.jp/teacher/~sasayama/macroecon/lecture13.html
http://www.ec.kansai-u.ac.jp/user/t902375/ippo.htm
統計の記事
https://bellcurve.jp/statistics/course/
経営学の記事
https://www.slideshare.net/naka332/6-100291530
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/00173852.pdf
脱成熟化の勉強してます。同じ勉強している方がいればぜひ
マクロ経済学石川秀樹氏の本二冊読んだんだけどislmに関してはクマガクのほうが分かりやすかった希ガス。
ミクロ組織論のごみ箱理論
現在ミクロ組織論を勉強中です。
以前からミクロ組織論には意思決定の範囲が入っていると知っていたので詳しくやりたいと思って9月末まで待てずに教科書を読み始めてしまっています。
その中の組織的意思決定の単元を読んでいた時にその理論から何を得ることが出来るのかがよくわからなかったのでネットで調べてみることにしました。
・組織的意思決定に①問題②解③参加者④選択機会の4つの要素が影響を与える
・参加者によって問題や解が作られ、選択機会というゴミ箱に捨てられるとみなすことが出来る
・組織的意思決定は問題解決による決定、見過ごしによる決定、やり過ごしによる決定がある
という感じに理解している状態でした。理論体系については下記URLの一つ目のものがきれいにまとめてくれているのでそちらを見ることをお勧めします。ただ、理論を知っていてもいまいち結びつかないという方はぜひ二番目のURLを見ることをお勧めします。ここでの説明の特徴として
・合理的意思決定(理想)に対してのごみ箱理論(現実)(事例あり)
・簡潔な理論の外観
・理論から得られる教訓
というプロセスで紹介しています。
以下引用です
「意思決定のゴミ箱モデル」によれば、意思決定には①意思決定の問題②解決策③参加者④選択の機会の4つの要素が含まれ、意思決定は決して整然と秩序だって行われているわけではありません。
意思決定の4つの要素が、それぞれバラバラに存在・漂流し、決定の機会が訪れたときに、漂っていた問題と解決策と参加者が偶然つながり、意思決定がなされることになります。
非常に分かりやすいですね。
この後にゴミ箱のように意思決定がされるとどのような問題が起こるのかが明確に書かれています。箇条書きでとても見やすいです。
教科書ではこの根本的なところを理解するのに何ページも見ないといけないことになります。前振りで理論に対する批判が書かれていて正直長すぎるのが原因かと思われます.......
反対にこのサイトでは詳しい理論は書いていないので理論をざっと見てから再度教科書を見ることをお勧めします。最初に見たときよりも理解できるはずです。
以上現場からのレビューでした。
参考文献
http://www.bizsci.net/readings/mybooks/takahashi2016ten-hours/2-4garbage.html
七月二十九日
私たちは忘れてはならない。凄惨な事件に目を背けず伝えていくことのできる社会であることを心より願います。
一九三七年七月二十九日、北京東方二〇キロ、親日地方政権の首都が置かれた通州で、日本人居留民の保護を任務としていた支那人からなる保安隊が、駐屯日本軍の不在の間をついて蜂起し、無辜の日本人居留民を、集団的な暴行・拷問を加えた末に惨殺するなどしどの猟奇的凌辱行為を行った事件。殺害された民間人は二二五人に上った。
『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 第一章通州事件とは何か 藤岡信勝より
大学の図書館に『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』は置いてあると思います。文系の皆さんはぜひ手に取って見てください。世界史、日本史の知識があれば背景は理解できると思います。そして読んだのであれば他者に伝えてください。それが日本人としての義務であると痛切に感じるのです。
使えそうなサイトのうらる貼っていきます。
使えそうなサイトのうらる貼るだけ。日経ビジネス読んでいるんだけど新聞もとったほうがいいかな?読む時間とれるかが問題になりそう...
ニュース
イベント企画
https://liskul.com/event-planning-34628
ビジネス
https://www.businessinsider.jp/
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55428
http://keieimanga.net/archives/6345726.html
http://www.nakajima-it.com/entry/2018/12/24/133940
統計検定
https://kawazu-frog.com/statistics-grade2-between-grade3/
発想
緑一択民とは
緑一択民とは
エナジードリンク『モンスターエナジー(MONSTER ENERGY)』の愛好家で特にトレードマークの爪の色が緑のオリジナルのフレーバーを好む者のことである。モンスターのその他のファンと違う点は基本的に緑しか飲まないことである。彼らにとって緑モンスターはほかのモンスターは他のフレーバ―とは全く異なるものであり、信仰の対象なのである。
緑一択民の特徴と探し方
緑一択民は基本的に緑のモンスターしか飲まないので一緒に日常的に会う人物であれば自然と分かってくるだろう。彼らは日常的にモンスターを飲んでいるのでモンスターの話題を出せば食いついてくる。そのタイミングで「ところでどのフレーバーを飲んでいるの?」と話を振れば自然と答えてくれるはずだ。緑一択民は緑モンスターに対して特別な思いがあるのであなたに大いにその情熱を語ってくれるだろう。
反対にどのフレーバーも飲むという人は緑に対してそこまで熱意を持っていないか緑が苦手な場合が多いので「いろんなフレーバーがあっておいしいよ」とか「緑以外は飲みやすいよ」といった答えが返ってくるはずだ。
何故緑を好むのか
それぞれ違うのではないか、というのが答えだがかくいう私も緑一択民なので私の事例を説明する。
味が違う
「そんなの当り前じゃあないか」と言われてしまいそうだがここが一番重要だ。緑の味が好きすぎて他のフレーバーに手を出そうと思わないのだ。他のフレーバーは基本的にモンスター+フレーバーの味がするのだが緑一択民からすればモンスターの部分だけがのみたいのだ。「モンスターの味が薄いなー」と思ってしまうのである。ちなみにM3という緑モンスターの濃縮版は飲む。緑の味がしっかりしているからだ。
満足するために必要
緑一択民は緑モンスターを摂取することで満足することが出来る。要するに他のフレーバーを飲んでも「モンスターを飲んだ」という気分にはあまりならないのである。感覚でいえばコーヒーを飲むのと似ている。緑は別格だ。(名言)
以上緑一択民が緑を信仰する理由の一部である。他の一択民がどのように考えているかはわからないが上記の二つは共有できるものだと考えている。
緑一択民とお友達になる方法
緑一択民の性格まで把握することは難しいが、ある程度行動パターンはわかるので紹介する。彼らは緑が好きな以前にモンスターエナジーが好きなので、モンスターエナジーに対して好意を抱いていると話せば仲良くなれるだろう。ただし注意がある。一部の緑一択民急進派は他のフレーバーにあまりよくないイメージを持っているので注意が必要である。特に白モンスターに敏感な場合が多いので気を付けておくべきである。
まとめ
・緑一択民とは『モンスターエナジー』のオリジナルフレーバーを特に好み基本的にそれしか飲まない愛好家である。
・彼らは緑に対して特別な思いを抱いている
・モンスターの話をすれば仲良くなれるが、他のフレーバーの話をするときは注意が必要
れっっつエンジョイモンスタアああああああああああああ
日中戦争に関する論考
土曜日に掲載する予定と告知したものが完成したのでアップロードします。
内容は要旨となっており、先生に提出したものとは異なっています。一部敬語や意見をいただきたいという内容があったのでその部分を変更しています。授業の発表のものとは内容は同じものの、時間の関係で省いた部分が載っています。
序
前回の経営学での授業での「日中戦争は日本の侵略戦争である」と発言があった。私の見解と異なっていたこと、先生が対案を募集していたことがあり、執筆を決定した。本研究は先生および私の所属する大学で知見を得られることを証明し一般的な考えであることを示すためできる限り同校付属図書館資料を基に執筆した。なお同図書館にない資料は基本的に書店で購入可能な参考書となっている。インターネット資料は調べきれなかったものや知識の補足のために利用した。
本
調べた結果、「日中戦争は日本の侵略戦争である」という発言はいくつかの意味にとれる上発言意図も複数考えられるため、場合分けして考えることにした。
1 侵略戦争をAggressive Warの意味で使用したが私が何か断罪する意味を込めて使ったのではないかと勘違いしただけの可能性
2 日中戦争は全面的に大日本帝国に責任があるとし、それを断罪する意味合いで使用したという可能性
3 日中戦争が起こった過程で中国側に責任があると知りながら、避諱により史実を中国側に都合の良いものにして説明しようとした可能性
まず1について検証していく。この場合「日中戦争は日本の侵略戦争である」という発言は正しいものになる。理由は相手の陣地に攻め込んで戦争することであるからだ。Wikipediaに簡潔な文章が載っていた為引用する。
現在では、自国領土に限定した武力行為を自衛戦争、他国領土に武力を展開する行為を侵略戦争と呼ぶことが多いとされるが、国連平和維持活動などをかんがみれば、人道のためならば、後者は侵略とは呼ばれない慣習ができつつある。引用終了。
ただし一般的に侵略戦争でイメージされるものと異なっている可能性があるので詳細を記述する。『日中戦争―望んだ中国 望まなかった日本』 北村稔・林思雲 PHP研究所 21ページから引用する。
十九世紀国家間の戦争は二十世紀の第一次、第二次世界大戦のような総力戦ではなく、敵対する国家の軍人が限られた戦場で決着をはかる限定戦争であった。敗北すれば賠償金の支払いと領土割譲のルールが確立されていた。引用終了。
このように戦争にはルールがあった。またオランダのハーグで結ばれた「陸上戦闘に関する法と慣習」―Laws and Customs of War on Landには戦場での禁じ手などが載っている。これは国際的に戦争が認められていたことを示している。政策で戦争をすることが禁止になったのは第二次世界大戦の終了後である。これについてはその根拠がパリ不戦条約にあることから日中戦争はAggressive Warに当てはまらないとする考えがあるがこれは事後法に近い形でパリ不戦条約の解釈変更により成立されたものであるので正しいとは言えない。このように命題を解釈している場合正しいのである。しかし、あの場で軍事用語を完璧に理解している生徒はおそらく少なかっただろうから何か説明があってもよかったのではないかというのが正直な感想である。
次に2に関して検証していく。私は日中戦争は中国側にも責任があると考えていてそこには理由根拠がある。考えなしに国家が動くわけがないということだ。仮に日本が侵略し植民地を獲得しようという意見が強かったのであればもっと早い段階から全面戦争に発展させていたはずである。しかしそうはならなかった。石原莞爾の存在である。事実日本政府は当時不拡大方針を打ち出している。では何故日本軍は拡大方針に翻意したのだろうか。以下『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 藤岡信勝 三浦小太郎 編 勉誠出版 12・13ページ の引用である。
加藤氏も中国の好戦性を書いている。昭和十二年七月七日夜、北京郊外で勃発した盧溝橋事件は、国民党の宋哲元軍長麾下の第二十九軍が日本軍に発砲したことが契機である。日本政府はいち早く事件の不拡大を決定したが、中国側の挑発は続いた。十日には中国人斥候が日本軍将校を銃撃、十三日には日本軍のトラックが爆破され、四名が死亡する「大紅門事件」が起きた。引用終了。
これだけではない以下同文献17ページの引用である。
一九三七年七月二十九日、北京東方二〇キロ、親日地方政権の首都が置かれた通州で、日本人居留民の保護を任務としていた支那人からなる保安隊が、駐屯日本軍の不在の間をついて蜂起し、無辜の日本人居留民を、集団的な暴行・拷問を加えた末に惨殺するなどしどの猟奇的凌辱行為を行った事件。殺害された民間人は二二五人に上った。引用終了。
また『詳説 日本史研究』 佐藤信 五味文彦 高埜利彦 鳥海靖 編 山川出版社 461ページには以下の文章がある。以下引用。
同年8月になって華中の上海で中国側による大山海軍大尉殺害事件がおきた(第二次上海事件)のを機として海軍(米内光政海相)もまた強硬姿勢をとり、日本本土の基地などから出撃した海軍航空隊が東シナ海を越えて首都の南京を爆撃するなど日本は中国と全面戦争(日中戦争)に突入した。引用終了。
このように中国側からの挑発行為、移留民の殺害行為があったことは確かである。自国民が何度も殺害されているのであるから当時合法であった戦争を仕掛けられても仕方ないはずなのだ。また自国民の安全保障は人道的処置であり現在の観点からみれば武力制裁に値する。また、通州事件に関して言えば二年前から計画されていた計画的殺人であり、国民党もかかわっていたことから中国が戦争をしかけてきたととらえても何ら不思議はないはずである。上記理由より私は日中戦争が日本の侵略戦争ではないと考えている。
最後に3についての検証をする。ただしこの場合議論が成立しない可能性が高い。というのもこの場合西洋流と中国的史観の価値観の違いを持ったまま議論するという非生産的なことを行ってしまう危険性があるからだ。『避諱という概念(報道と選択について その2)』(URLは参考文献に掲載する) 『日中戦争―望んだ中国 望まなかった日本』 北村稔・林思雲 PHP研究所の第七章 中国人の歴史観 や『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 藤岡信勝 三浦小太郎 編 勉誠出版 第三章通州事件の精神的・思想的背景 に詳しく載っている。引用が非常に長くなるためこれらの文章を参考に簡潔にまとめる。ここでの「避諱」とは儒教の概念からくる道徳的概念のことである。儒教では社会の安定や「乱世」を避けるため偉人や賢人に頼ることがよいとされてきた。しかし偉人賢人だとしても時に過ちを犯す。そこで過ちを隠し、功績を誇大にたたえることで威信を保つ。これがここでいう「避諱」である。これが愛国虚言につながっていると著者は言っている。またこのことから中国人は国益のために嘘をつき誇大に評価することがあるとしている。これでは正確さは求められない。歴史的根拠の一つとして南京事件の被害者数があげられる。日本側でも意見が割れているところである。しかしこれは確固たる証拠がないことを示している。一万人にしろ、三十万人にしろ、確固たる証拠があれば大方の数字が動くことは無い。動いてしまうのは証拠がない・証言が間違っている可能性が考えられる、が証言は山のように出てきているため後者と考えるのが妥当であろう。実際南京事件の証言が間違っているという日本側の資料がある。
結
今回は前回の発言の意図や正確性について検討させていただいた。結論として、侵略戦争をAggressive Warの意味で使用したが私が何か断罪する意味を込めて使ったのではないかと勘違いしただけの可能性の場合は正しい、日中戦争は全面的に大日本帝国に責任があるとし、それを断罪する意味合いで使用したという可能性の場合は上記の理由により違うという考えもある、日中戦争が起こった過程で中国側に責任があると知りながら、避諱により史実を中国側に都合の良いものにして説明しようとした場合は正確性を追求していない発言であったことが分かった。また1、2は誤解を生じさせる可能性があったことを確認した。歴史観は個人レベルで違うことが多々あるので発言する際には十分な説明が必要なのであろう。相互理解が求められる中、善悪二元論に陥らず、互いを尊重するためにも発言には私を含めみな気を付けなければならないのだ。
参考文献
『日中戦争―望んだ中国 望まなかった日本』 北村稔・林思雲 PHP研究所
『通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか』 藤岡信勝 三浦小太郎 編 勉誠出版
『詳説 日本史研究』 佐藤信 五味文彦 高埜利彦 鳥海靖 編 山川出版社
『南京「大虐殺」被害証言の検証』 川野元雄 展転社
『事実を改変させる力としての避諱・序説--中国人の歴史記録意識考(1)』 竹内康浩 北海道教育大学釧路校
『避諱という概念(報道と選択について その2)
http://blog.livedoor.jp/kotobukibune_bot/archives/15967291.html
『南京虐殺』http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/nanking-jiken-10.html
以下の文章は参考部分が引用であったため掲載する。
『Prelude to Nuremberg: Allied War Crimes Policy And the Question of Punishment』 Arieh J. Kochavi Univ of North Carolina Pr; New版 (2005/11/30)
『対日作戦必勝論』 国民党浙江省党部編
『抗日旬刊』 光華大学抗日救国宣伝部主編
『中国人民の友「冀東防共自治政府」闘争と傀儡政権の打倒』 王士立・鐘群庄・超競存・李宋国
『冀東人民の「冀東防共自治政府』に対する反対闘争』『国家人文歴史』 李成民
『近代中国的出路』 黄仁宇 联经出版社,